保護司は、男女の別なく年齢や職業も様々です。守山保護区保護司会に所属する保護司が日々の生活で感じたこと、季節の移り変わりなどを何でも思いのままにつぶやくページです。
(不定期更新)
リモコン
車のキーロックが最近はポケットに入れているだけで、ロック解除出来る様になってきた、が、我が家ではその少し前のタイプで、ポケットに入れておいて、ドアノブに付いている黒いボタンを押す必要がある。あるいは、リモコンのボタンを押しても解錠できる。
ある日、何を思ったか、車から降りて玄関のドアに向かい、車のリモコンのボタンを押して、「あれっ、ドアが開かない」と首をかしげて、何度も頑張ったがやっぱり開かない。
んーん困ったと思って、ふと気がついた。リモコンのボタンを押す度に車がピッ、ピピッと鳴っていることに。
そうだ、我が家の家のドアの鍵が車のリモコンキーで開くはずがないのだけれど、開くと信じて押していた。あー恥ずかしい。思わず辺りを見回して、誰もいなかったので、とても安心した。
と思った瞬間に、玄関ドアが中から家内開けられ「何やっとんの」と言われた。
考えて見るとリモコンが家の中にもゴロゴロと転がっている。テレビ、ブルーレイ、エアコン、壁に付いているが浴室、トイレの中にもあったぞ。
家庭内にあるリモコンを一つに合せてしまうリモコン(スマートリモコンと言うらしい)もあるそうだがたぶん私には使いこなせそうにないだろう。(2024/11/20)
大井川
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と歌われた大井川ですが、東海道新幹線だと「あっと」言う間に、あるいは「知らぬ間に」渡ってしまう。
江戸の当時、大井川を渡るには「川札」を買わなければならず、水量(水深)によって、最低でも48文から94文さらに川幅が広がると2文刻みで料金が追加されたそうだ。現在の貨幣価値に換算すると1400円~2750円ほどになると思われる。
大井川の他にも、大きな河川(天竜川、安倍川、富士川など)があり、それぞれ渡し船賃などが必須であった。
名古屋ー東京の「のぞみ」は、片道13480円(指定席)だが、大きな川の渡し賃も含まれていると思えば、案外お値打ちなのかも…。
1時間40分余りで、眠っていても着いてしまうのだからお得感満載だ。
但し、帰路は気をつけないと名古屋を通り過ぎる…。
…zzZ… (2024/10/07)
夏草や
「夏草や兵どもが夢の跡」(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)は有名な「おくのほそ道」にある芭蕉の句だ。
現代語訳としては「夏草が茂って広がっている 兵士たちが戦っていた痕跡はなにもなく ただ草が生い茂るばかりである。といった感じである。
芭蕉ほど文才が無い私としては、この句にある夏草は我が家の庭を占拠する雑草であり、兵は、私のことのようである。
したがって、私訳としてはこうなる。雑草が生い茂っているなぁ、頑張って戦ったけど、私はあっけなく敗れ、雑草軍の完全勝利だ…つまり、今年も雑草に負けてしまったという辞世の句のように感じる。
(2024/09/17)
「おはぎ」と「ぼたもち」
どっちが好きですか?というお話ではありません。どう違うのかというお話しです。
結論から言うとどちらも同じ物です。では何が違うのか、検索すれば出てきますが、作る季節が違います。
どちらも米を蒸すか、あるいは炊いた後に潰し、それを丸めて「あん」(あんこ)で覆う。基本的に材料は同じ、作り方も同じ。見た目も同じです。(※地方によって若干の違いはありますが)
季節による違いとは、「おはぎ」と「ぼたもち」を漢字にすると分ります。「お萩」「牡丹餅」です。
おはぎは秋、牡丹は春。さらに夏は「夜船」、冬は「北窓」という名前に変化します。
但し、歴史を遡れば、ぼたもちはこし餡、おはぎはつぶ餡と使い分けられていた時もあるそうです。それは、秋に収穫したばかりの小豆は皮が柔らかく、そのまま皮も潰して食べられるためで、それが春になると皮が固くなって、食感が悪いため、こし餡にしていたのだとか。今では品種改良によって柔らかな小豆の皮なので、つぶ餡が多いのだそうです。
私としては、どちらも大好きです。特に頂き物なら何でも遠慮無く美味しくいただきます!(2024/08/19)
規制標識
我が家からほど近い場所に「ナゴヤドーム」がある。その道路沿いで見つけた交通補助標識に違和感を感じた。
駐停車禁止の標識に「野球開催日17-23」と補助標識がついていた。どうやらプロ野球のナゴヤドームでの開催、夕方5時~夜11時までは駐停車禁止ということらしい。うん?まてよ、プロ野球ではなく、コンサート開催日は駐停車が可能なのか?
私はスポーツ全般にあまり興味が無いので、そもそも野球の開催日が分からない。こりゃまずい(よろしくない)規制の仕方ではないだろうか。
さらにデイゲームの場合は「野球開催日」だが「17-23」は意味があるのか?いやいや規制標識通りなら、デイゲーム開催日も夕方5時~夜11時までは検挙可能と判断するべきか。
法律と言う物は全ての人がが同じように理解できるものであるべきで、規制標識(補助標識)といえども同じだと思う。
できることならば、野球開催日をその都度表示してもらいたいものだ。(2024/08/02)
更生したヒマワリ
前回のつぶやきに書いたのだが、一本だけ「へそ曲がりなヒマワリ」があった。
あれから1ヶ月余が過ぎ、へそ曲がりなヒマワリは、立派に更生をして、50㎝程だった草丈が今は1mにまで育ち一番元気になった。
先月まで一番優秀だったヒマワリは、強風に吹かれて倒れたせいか、今は草丈が最下位に落ちた。同じ様な環境で育てたつもりでも、成長過程でどんどん変化して行く様子を見ていると、我が子・我が孫の成長にも想いが重なる。
夏至に入り、へそ曲がりだったヒマワリの草丈はさらに150㎝近く伸び、見事な大輪の黄色い花を付けた。
太陽に向かって動いていたのは蕾の時までで、大輪の花が咲いてからは、東南を向いたまま動ぜず、我が家の庭をパット明るく照らしてくれている。
(保護司N 2024/06/24)
へそ曲がりな向日葵
初夏を迎えて、ホームセンターでは花と野菜の苗が溢れんばかりに並ぶようになった。毎年勝手に生えてくるような花の苗でも、以前の倍近い高値でびっくりする。そこで、今年は店に並んでいる苗を買わないで、種から育てる楽しみを味わう事にした。
初めての種まきは、育てやすそうな真夏を代表するヒマワリの種を、慣れない手つきでポットに蒔いた。それでも順調に発芽し、新芽の間引きを繰り返し、ホームセンターで売っている様に元気に育った苗を15本、我が家の庭の中心に移植した。
大きな花の咲く日を楽しみに、毎朝成長する様を見ていると、不思議な事に気が付いた。
ヒマワリ(向日葵)の花は、太陽の方向に向かって常に動いていると聞いていた。
50センチ程に伸びたヒマワリの先端部分の葉が、朝日を受けて一斉に東に傾いていたのが、夕日になると一斉に西に傾くのだ。
ところが、1本だけ上を向いたまま一日中動かない、へそ曲がりで孤立したヒマワリが目に留まった。
これはヒマワリに限った事ではなく、人間の社会にも同じ様な現象が見られる。若い時は仲間から外れた行動を取っていても、これから日々成長して大きな花が咲く頃には、皆と同じように立派に育って欲しいと心の中で願っている。(保護司N
2024/06/07)
黄色い帽子
新しい年度が始まった。
我が家の前が、小学生の通学集合場所になっているので、「黄色い帽子」がぴょこぴょこと動いているのが見える。
さて、この黄色い帽子(いわゆる通学帽)は「なぜ、いつ頃から」始まったものだろう。
主に登下校にまだ不慣れな新一年生を交通事故から守る目的で、1960年(昭和35年)に毎年7月1日を「国民安全の日」と制定したことを始まりとして、良く目立つ色として「黄色」そして、新一年生に被ってもらい登下校させることが広がったそうだ。
ただ、全国一律かと言えばそうでもなく、学年色でそれぞれ学年毎の色つき帽子を被る地域や、そもそも全く帽子の規定がない所もある。
そう言えば地区の交通安全当番も黄色い帽子を被っていた記憶がある。
我々保護司が属する法務省では、「黄色い羽根」を「社会を明るくする運動」のシンボルマークとしていたなぁ。更生保護活動も常に一年生の気持ちで行いたいものだ。(2024/04/11)
クリスマスローズ
立春も過ぎて、時々春らしい朝を迎える日が来るようになった。
冬枯れの庭の葉っぱばかりが目立つ株間から、ひょっこりと白い可憐な花が顔を出した。毎年この時期になると、少しうつむき加減に咲く、常緑多年草のクリスマスローズである。
暦の上ではクリスマスから2カ月も過ぎているが、冬の花が少ない早春の我が家には欠かせない花だ。こんもりと茂っている古い葉を除けると思いのほか沢山の花が顔を出し、冬の庭がとても明るく華やかになった。
この花は大変長持ちのする花で、花殻つみの手間も要らず、初夏まで長く楽しめる上に、水遣りなどの手間がかからない。
華やかさで目を引く大きな花でも無く、存在感が目立つ草丈でも無いが、白く見える5枚の花びらに見えるものは、実際には「ガク」と云われる物で、「5つのガク」から「合格」を連想させられて、受験生のいる家庭には、縁起の良い贈り物として喜ばれているそうだ。
私もこの春に受験する孫へ贈ってみようかと思案中である。(保護司N 2024/02/28)
とろろ汁
12月初旬のつぶやきに「旨い山芋」が保護司のNさんより投稿された。
食いしん坊の私は、さっそく静岡の丸子宿(まりこ宿)(鞠子宿とも書く)へのツーリングに出掛けた。
バイク乗りにとって寒い冬でも、旨い食べ物には人を惹きつける魔力がある。
さて、「丁子屋」(ちょうじや)は、鞠子宿の名物とろろ汁を提供する店の一つだ。
この店は創業は戦国時代の末期1596年だとされている。
歴史のあるお店なのだ。
守山区から新東名経由で総行程約160km。藤枝岡部ICを出て12Km余り、旧東海道の「丁字路」(ていじろ)にあった茶店がスタートなのかもと思ったが、「丁字」(ちょうじ)というのは当時貴重品であった「香辛料のクローブ」のことで、読み方からすれば、それからとったお店の名前かも知れない。
鞠子宿にはとろろ汁を提供する複数の飲食店があるので、食べ比べてみるのも一興だ。(2023/12/26)
旨い山芋
我が家から程近い秋の山道が、黄金色のいちょう、真っ赤なもみじなど紅葉が美しくなって来た。それと同時に、木に絡みついた黄色い山芋の葉っぱを見つけて、スコップで掘り採った昔を思い出す。
我が家の庭の隅に、去年の秋に美味しく頂いた後の山芋の茎を埋めた所から、忘れかけていた黄色の葉が目立つようになり、大好きな「とろろ汁」が楽しみで夢中になって掘り採った。1時間以上も土と格闘をしたせいか、その美味さは昔と変わらず格別であった。
体力は年々弱って来てはいるが、スーパーで買って来た山芋では何処となく物足りなくて、何故か自分で掘り出した満足感の有る「とろろ」が食べたいと思う。
来年は美味しい山芋を楽に掘りたいそんな気持ちから、来年用の山芋を工夫して植えることにした。地中深く伸びない様に水を通す防草シートを庭の片隅に敷き、1mに切った雨樋を15度傾けて置き、その上に種芋を乗せて上から土をかぶせた。
これで来年は土との格闘をせず、旨い山芋がゴッソリ収穫出来るような気がする。
今から来年の秋が楽しみである。(保護司N 2023/12/04)
QRコード
多くの物にQRコードが付いている時代になった。巷に溢れすぎたことでの弊害も出てきた。予期せぬ所で読み込んで(読み込まれて)しまうのだ。例えば新聞の紙面の記事に付いているQRコードをスマホで読み込んだつもりなのに、広告欄のコードを読み込むことがある。同じ紙面に何カ所かQRコードが表示されている事があるのだ。
QRコードの表示は街中でもよく見かける。コンビニのレジ付近にも各種あったりする、これらは充分に気をつけないと決済用だ。
利用する側にとって、いちいち入力せずにサイトに行けたり決済できたりするのにはとても便利なツールだが、時として関係の無いない所に飛ばされるのは困る。
何事も注意していないとトラブルの元だ。(2023/11/29)
はや10月
バイクでツーリングの際にプロテクター付のメッシュジャケットを着てもダラダラと汗を流していたのだが、10月に入って、メッシュジャケットでは寒すぎる。冬用のジャケットを出さねばならぬ。
9月の残暑(というか酷暑)はいずこへ行ってしまったのか。
時の流れ(季節の流れは)とても早い。
そう言えば栗の季節だ。中部地方では、中津川あたりの「栗きんとん」が有名で、もう少し足を伸せば小布施の「栗鹿ノ子」も有名だ。しっかり厚着をして出掛けることにしよう。(2023/10/05)
ヘチマ
9月に入っても猛暑日が続いているが、朝はほんの少しだけ涼しさを感じる様になった。そして日よけ棚のヘチマが、ハイビスカスに似た大きな花びらで、黄色い花を付け涼しさを届けてくれる。
去年の夏より少し遅れて、ヘチマが緑色の長い実を付けた。私の得意料理は「味噌汁」だけで、今年初めてヘチマを入れた味噌汁を作った。スーパーには出回らない野菜のヘチマですが、我が家では当分の間朝食の味噌汁に顔を出す。
長さ40㎝以上になった完熟したヘチマは、「天然たわし」として年中我が家の台所と風呂場で役立っている。
収穫の終わる秋になったら、家族に喜ばれる「ヘチマ化粧水」を採取する。
最近ヘチマを見かける事は少なくなりましたが、美しい花として、健康食材として、台所用品として、また天然化粧品としてこれほど役立つ野菜は他に見当たりません。
年金で自給自足生活を目指す我が家では、秋が深まるまで大好きなヘチマの味噌汁を楽しみます。
(保護司N 2023/09/11)
川原念仏
お盆13日の夕方、家から歩いて近い川原で、4年振りに地元の伝統行事である「川原念仏」を行った。名古屋市内でこの様なお盆の行事を行っている地域は、ここだけかも知れない。
この1年間に新仏になられた方々の御霊を供養し、道標として松明の迎え火を焚き、待っておられる家族のもとへ、速やかに辿り着ける事を念じて、鐘を叩きながら全員で志段味念仏を唱える。
これが終わると参加した子供達にはお菓子とジュースを、大人には冷たいビールが新仏の家族により振る舞われる。一年振りに会える友と、世間話が出来る事を楽しみにしている高齢者の参加も目立つ。
この様な地元のお盆の行事ですが参加する若者は減り、保存して行きたいと願う世話役も見つからない。
コロナ前は80名の参加があり賑やかで有ったが、今回は50名程と寂しい。日々の生活で誰もが忙しい時代だから、のんびりと迎え火を焚いている時代ではないのかも知れない。
今回が最後の「川原念仏」となりそうな気がして寂しいが、時代の流れに任せる事にしよう。
(保護司N 2023/08/25)
普段歩かないので…
普段、車とバイクが主体の生活。さらには駅まで徒歩1分。我が家のお犬様は散歩嫌いなので、私もめっきり歩く事が無くなった。
だが無精な私も、旅行に出掛けた時は、あっちへウロウロ、こっちへヨロヨロとかなりの距離を歩く。
そんなとき、信号で何度か失敗。最近増えてきた「歩行者専用」の信号である。
歩車分離式といって、歩行車と車の信号が分けられているあれです。
普段ほとんど歩く事無く、車とバイクばかりですから、車用の青信号を見て道路を渡り始めてしまいました。きっと周りの歩行者からは「変なやつ」とか「危ないなぁ」とか思われているでしょう。反省!(2023/08/23)
「あたりまえ」は当たり前では無い
おかしなタイトルですが、今朝、実感したことです。
台風が潮岬付近に上陸して大阪方面へと進んでいます。JR等の鉄道各社は計画運休を実施。新幹線も一部区間で運休を発表。遊園地や大型商業施設も臨時休業を昨日から発表、近隣のスーパーも同様です。
ところが、今朝、郵便受けを見ると新聞が配達されているではありませんか!新聞なのだから当たり前だと思う気持ちと同時に配達して下さる方への驚き(&感謝)がこみ上げてきました。
配達もそうですが、新聞が作られるまでの課程を考えてもすごいことです。郵便も止まっていないみたいです。新聞その他の配達業務も計画休業にしてもいいと思うのですが…。
悪天候でも普段と変わらず配達して下さること、ガス、水道電気の供給等「あたりまえ」を実現して下さることに感謝。(2023/08/15)
違和感
子どもの頃、お盆には生もの(生き物・殺生)は食べたらいけないと教えられた。ところが昨今、新聞に入ってくる折込みチラシには「お盆のごちそう」の大きなタイトル「子どもの喜ぶ顔」の写真、そして「お刺身やお肉の特売」画像が並ぶ。
もはやお盆は宗教的な意味合いの行事では無く、ゴールデンウイークや正月のような長期休暇&実家で孫子が一堂に会する日となったようで、そうなれば当然ご馳走の出番となる。
おじいちゃん、おばあちゃんにすれば孫の喜ぶ顔はなによりも見たいもので、そのためにはご先祖様の供養もほどほどにして、ハンバーグだのお刺身の盛り合わせだのを準備するのに忙しいのだろう。いつのまに違和感もどこへやら。
(2023/08/14)
花火
テレビ報道によれば隅田川の花火大会を見物した人は103万人とも105万人とも言われている。
東京都の常住人口は1350万人ほどだそうで、これらの数をもとにすれば12~13人に一人は花火見物に出掛けたことになる。雑踏で大きな事故が無かったことは幸いだ。
東海地方でも大きな規模の花火大会があり、岡崎、豊田のおいでん、岐阜長良川、三重熊野などが有名だ。だが我が家は基本的に現地に赴くことはない。(きっぱり)
いいロケーションで見ようと思えば「有料」の観覧席を取らなければならないし、だいたいコレを申し込むことすら困難で、なによりも渋滞や雑踏が嫌いなのだ。
子どもや孫たちと庭先でする線香花火などの方が似合っているかも。
昔は、名古屋でも花火大会があり、我が家から見ることも出来たし、自転車でぷらっと出掛ける事もあったのだが…
昔を懐かしむ歳になった。(2023/07/31)
ゴキブリのこと
年に数回、家内が「ぎゃー」と叫ぶと、たいていゴキブリか蜘蛛が出たの合図である。その声を聞いて、殺虫剤を手に颯爽と駆け付けるのが私の役割。「永年住んでいれば、虫だっているわさ」と冷静を装い、プシュと一吹きして、新聞紙にくるんでゴミ箱にポイ、駆除完了。
颯爽と駆け付けると思い込んでいるのは私だけで、たぶん家内から見ればドタバタと駆け付けるが正しい表現かも知れないが、いずれにせよその時だけは家内から喜ばれている。
が、私はこれで地獄に落ちるんだろうなぁ。年間で何匹殺しているのやら。
ゴキ様だって蜘蛛男(蜘蛛女かも)だって、殺されたくって出て来るのではないだろうし…単に生活しているだけだろうな。
私たち人間だって、地球の上でうごめく害虫に近いんじゃないかとも思う。(2023/07/20)
七夕
子どもの頃、七夕飾りの短冊に願いを書いた。小学生の頃、走るのが遅かったので「早く走ることができますように」と書いたと記憶している。が、あの時「足が長くなりますように」と書くべきだったかも知れない。そうすれば今の短足は無かったのかも…。願い事は、今からでも間に合うだろうか?
お寺や神社でしばしばご祈祷をお願いをするのだが「無病息災」やら「交通安全」「病気平癒」「家内安全」といったごく一般的な願いしかしてこなかったが、これからはもっと具体的に「大金ゲット」とか「足を長く」と願ってみよう。罰当たりな気もするが、祈祷料を出すのだからいいんじゃ無いだろうか?
保護司としての願いは「再犯防止」「社会復帰」かな。(2023/07/07)
オジギソウ
「社会を明るくする運動」啓発の街頭活動から帰って少し涼しくなった夕方、小さな庭の草取り作業最中に、普段あまり見かけない小さな草を偶然見つけ、そっと触れてみた。すると、開いていた葉をピッタリと閉じ、その後、葉の付け根から垂れ下がる様にお辞儀をした。これは紛れもない「オジギソウ」の花の苗である。
特に目立つ花ではないが、そう言えば去年の夏に可愛らしい丸いピンク色の小さな花を付けて、控えめであるが花壇を飾っていた事を思い出した。
お辞儀をする様子がとても可愛らしくて、茎に有るトゲは気になるけれども、大変丈夫な花で我が家の庭で秋まで長い間楽しませてくれた。あれから一年が過ぎて、偶然の出会いが何故か嬉しく思えた。
「オジギソウ」は、触れると静かに葉を伏せてお辞儀のように見える姿から、謙虚であるという花言葉を生んだと云われている。私に今までより謙虚に、「社会を明るくする運動」に取り組めと云われている様に感じた。
(保護司N 2023/07/03)
元気な雑草との闘い
梅雨に入った途端、我が家の庭は緑のジュータンを敷き詰めた様になった。
聞こえは良いがジュータンではなく、全て雑草である。
草取りをしても一週間で元に戻ってしまう、雑草の生命力にはとても腹が立つけれども、少しだけこの生命力を私にも分けて欲しいと思う事も有る。
毎年習慣にしていた草取り仕事も、今年は草を取る元気が何故か出てこない。
そこで防草シートを思い付き、休み休み一週間も掛け100mのシートを張った。
これで今年は草取り作業から解放されると一安心。所があちこちのコンクリートの隙間から、勢いよく雑草が伸びて来て気になって仕方がない。
そこで次の対策として、ホームセンターからセメント8袋を買い求めた。
来週から一週間かけて、雑草が生える隙間にセメントを詰める第2弾の防草対策を行う予定だ。
雑草との闘いは今年で終わりにしたいと思いながら、今まで同様に手で草取りをする方が自然とふれあえて、楽しいかも知れないと迷っている。
(保護司N 2023/06/19)
梅雨入り
東海地方の梅雨入りが5月29日に発表された。平年より8日ほど早い発表だ。5月の内に梅雨入りになるのは10年ぶりだとか。
雨も適切な時期に降ってくれないと、水不足などの心配もあり、農家など水が必要な方にとっては死活問題だ。
一昨日は、集中的な豪雨により各地に冠水等により被害をもたらした。被害を受けた方々には一日も早く普通の生活を取り戻して欲しいと願う。
降りすぎも困るが日照りも困る、難しい。適切な時期に適量を望むのは欲張り過ぎか。
個人的な話になるが、バイク乗りにとっては雨は嬉しくない。適度に涼しい曇りが望ましいが、天気・天候は人の力ではどうにもならない。せいぜい「てるてる坊主」を作るくらい。
ちなみに「てるてる坊主」を逆さまに吊すと「雨雨坊主」や「降れ降れ坊主」になるらしい。本当かなぁ…。
(2023/06/05)
太っ腹
度量が大きく大胆で、物事に動じないさまのことです。私の下腹も歳と共に大きくなりつつありますので、これもまた太っ腹と言えるかな。言葉の通り度量も大きくなりたいのですが、こちらに関しては小心者で、小学生の頃から「どうか当てられませんように」と願いながら授業を受けていました。
5月に入ってから日本各地で震度4以上の大きな地震が14回も続いており、次は名古屋ではないかと怯える毎日です。テレビを見ていて突然流れる緊急地震速報の音を聞くと思わず身構えてしまいます。
30年以内の発生が88%の確率だろうと言われている「東海地震」「東南海・南海地震」は、もしかしたら今日なのかも知れません。
ドイツの小説家ジャン・パウルは次の様に言っています。
小心者は危険の起こる前に怖れる。臆病者は危険の最中に怖れる。大胆な人間は危険が去ってから怖れる。
さて、あなたはどのタイプでしょう。(2023/05/24)
とんでもない時代
つぶやきページに何を書こうかと思案していたところ、今の時代はAIが文章を作成してくれるらしい。新しいもの好きの私は早速ためしてみた。
いくつかの単語をキーワードとして入力するだけでいいようだ。
「つぶやき」「原稿」「作成」「困った」と入力してみた。すると数十秒でつぎのような文書が出来上がった。
「Twitterでつぶやきたいけど、原稿がない!そんな時のための原稿作成術」というタイトルで、内容は「Twitterでつぶやくための原稿作成術を紹介。文字数制限に引っかからないよう、伝えたいことを3つ程度に絞る。文章を短くするコツは、余計な装飾語や接続詞をつけないこと。」
分ったような判らないような文章が出来上がった。
とんでもない時代が来たかと思ったが、案外まだまだなのかもしれない。(2023/05/15)
八十日目
「はちじゅうにちめ」と読んだ人は名古屋人ではないですね。これは「やっとかめ」と読みます。
「やっーとかめだなも」などと使いました。「お久しぶりです・ご無沙汰しておりました」と言う意味になります。
今回の「つぶやき」は、やっーとかめになってしまいました。(反省!)
名古屋弁と言えば「~ぎゃー」が付くと思っている方がほとんどだと思いますが、「~なも」が付く言葉もありました。今では誰も使っていませんが。かなり昔の尾張名古屋の上町言葉で、非常に上品な響きの言葉でした。
マンガの「うる星やつら」に出てくるラムちゃんの言葉に「~だっちゃ」「~っちゃ」という語尾がありますが、これは因州弁(鳥取県)と佐渡弁(新潟県)に見られる表現です。「~ちゃ」が語尾に付くのは富山弁、山口弁。
名古屋弁によく似た京都府の京丹後市あたりの丹後弁と言うのもあります。
日本各地に似たような方言はあるんですよ。
で、タイトルにした八十日目が元で「やっとかめ」=久しぶりなのかと言うと、これは諸説ありまして、「約10日目」(やくとうかめ)が訛ったものと言う説。(これは少しばかり苦しい感じですが)
もうひとつは、この「やっと」という言葉も方言で、「長い間」という意味があるので(発音は「やっと」というより「やぁっと」)長い間(やぁっと)会わなかったから久しぶりだね、という説。
どれが元になったのかはさておき、今後は、保護司のつぶやきの更新が「やっとかめ」と言われないよう頑張ります。(2023/05/10)
野菜嫌い
あまり自慢できる話しではないのだが、私は野菜が苦手である。もちろん食べないわけではなく、なるべく食べるようにしているが、どうしても苦手な野菜がセロリなのだ。
一方、果物は何でも食べる。一般的には苦手な人が多い「ドリアン」も食べる。
さて、メロン・イチゴ・スイカは野菜であると云ったら、皆さんはどう感じるだろう。
農林水産省では「栗・梅」などを果樹としているが、「メロン・イチゴ・スイカ」などは野菜として区分している。なんだか不思議な区分に感じるが、事実である。
野菜嫌いのお子さんにこの話をすると、野菜好きに変わるかもしれない。(2023/03/27)
花粉の季節
春と秋の二度、花粉症がひどくなる。新聞などで花粉情報なるものをみることも多い。四季を感じることが出来る日本は素晴らしい国と言われるが、鼻水との戦いが年に二度あるのは勘弁願いたい。
年に二回と言えばお彼岸も春と秋の二度ある。お彼岸は太陽の出ている時間(昼)と沈んでいる時間(夜)が同じくらいの時間になるときを「お中日」としてその前後三日間に行う仏事のこと。
彼岸と言う文字から、はるかかなた(彼方)の向こう側にある「岸」が想像出来るが、実はこれ正解。それはどこかというと、私はまだ行ったことはないのだが「悟りの世界」ということらしい。と言うことは、こっち側の「岸」もあって、此岸(しがん)と言いう。つまりこの世だ。
この世には色々なしがらみがあるので、きっと花粉症もその一つだろう。(2023/03/20)
蕗の薹(フキのとう)
春分の日が近づいて、少し暖かく感じる様になって来た。
朝の散歩で、我が家の庭の片隅で蕗の薹を見つけた。
長く寒い冬に耐えて、今年も忘れないで大地から顔を出して、春を知らせてくれている。
去年の日記を見ると、今年は2日遅い事が分った。365日も過ごして来たのに、たった2日しか狂いが無い事にびっくりする。
真っ暗な土の中で眠っているフキの根の何処で、時の流を測っているのだろうか? と何でもない事が、子供の様に気になる時が有る。
カレンダーを頼りに過ごしていても、時々日にちを間違える私から見ると、植物は規則正しい時を刻みながら生きている。伸びてきたフキは神の様にさえ思える。
あれこれ考えず早速、大地の神様を天婦羅にして有難く頂く事にした。
春を思わせるほろ苦い美味しさと同時に、生きる勇気までも頂いた気がして嬉しくなった。
(保護司N 2023/03/13)
現金主義
財布を持たなくてもいい時代が来ているはずである。が、実際にはまだまだ現金が必要なことも多い。お寺や神社ではお賽銭。やっぱりチャリンという音が私には必要だ。
そう言えば2024年度の上半期あたりにお札の肖像が変わるそうだ。
2023年現在の一万円札は福澤諭吉だが、昔の一万円札は聖徳太子だった。あれっ、旧紙幣はかなりの種類が聖徳太子だったような気がする?…だんだん記憶が怪しくなってくる。
ちなみに昔のお札も、額面通りの金額でちゃんと使えるってご存じですか?
先日沖縄に行った方から二千円札(現行紙幣)を譲っていただいた。久しぶりに見ると、表面に守礼門、裏面に源氏物語の絵図がデザインされておりとても美しいお札です。沖縄県内では今も結構流通しているそうだ。もちろん現行のお札ですから日本国内ならどこでも使えるはずですが、コンビニで出したら、なっと「使えません」と突っ返されてしまった。たぶん店員さんは見たこと無かったんだろうなぁ。というわけで、この二千円札は私のデスクの引き出しの中だ。二度と出ることはないだろう。(2023/03/02)
アウトレット
年末や年度末に近くなると、○○アウトレットのCMが増える。家内に「今度の日曜にさー」と言われるとたいてい「アウトレットに行きたい」と言うことになる。
どうやらアウトレット=バーゲンと言うことらしい。自分で高速を走って買い物に行くのではなく、私と一緒に行くのは車に乗せていって欲しい以外の理由があるのだろう。
そもそもアウトレット(Outlet)とは、「出口、はけ口」を意味する言葉です。
海外でアウトレットと言えば、たいてい家の電気のコンセント(電気の出てくる所)を意味します。
家内の好きなアウトレットは、ざっくり分けると工場から店舗へダイレクトに運んだ商品を売る「ファクトリー・アウトレット」と、メーカーの余った在庫や訳あり品を売る「リテール・アウトレット」の2つになります。
最初は工場で働く従業員が安く商品を買えるようにと、工場の中に小さなショップを出したのが始まりと言われています。つまり工場直販です。これなら流通に乗る前なので安く買えそうな気がします。
現在のアウトレットは、まれに在庫(前年度モデル)や訳あり(箱キズなど)を安くしていますが、ほとんどはアウトレット用に作った商品のようです。
私のカードや財布から「出て行く」という意味のアウトレットでもあるかも知れません。(2023/02/16)
対象者と離れて一年
保護司の役割は、道を踏み外して立ち直ろうとする人に寄り添い、対象者に自立した生活を身に付けてもらう事だと思う。
約束した面接の日になると、いつも約束の時間に姿を見せてくれるだろうかと、余計な心配をしながら1時間も前から待つ習慣になっていた。
月2回の面接はいつも何気ない日常生活の話が中心でしたが、対象者が帰った後には一仕事を終えた時の様な、何か清々しい気持ちになったものです。
しかし担当をしなくなってからもう一年が過ぎた。今までに一度も無かったこの状況は、安心安全な街になった証なのだと考えて喜ぶべきだろうが、何故か素直に喜べない。
保護司になって16年の間に16人の対象者と面接をして来ましたが、いつも満期が来る日を待っていた気がします。ところが第一線から退き、自由な時間が溢れる中で対象者を一人も持た無くなった今は、社会との繋がりまでも途絶えてしまった様な寂しさを感じています。
でももう少しだけ、生まれ育ったこの地へ恩返しが出来るようにと、この春から毎日30分程ジムに通いながら、少しづつ元気とやる気を取り戻しています。(保護司N
2023/02/09)
恵方巻
私はこの風習を知らなかった。子どもの頃に食べた記憶がない。きっと商業主義のCM上手なのだと思っていたら、江戸時代から明治時代にかけての大阪の花街で節分をお祝いや、商売繁盛を祈ったことに始まったといわれているそうな。江戸時代からの歴史があったとは、全く知らなかった。ただし名称は恵方巻ではなく、「丸かぶり寿司」や「太巻き」と呼ばれていたそうです。1989年頃にコンビニの一部地域で「恵方巻」と名付けて販売したら、大ヒットし、商業ベースに乗ったのだとか。
しきたりとしては、その年の恵方に向かって、一本を切らずに丸ごと、言葉を発せず黙々と食するのが良しとされています。
私は色々な種類を食べたいので何種類か買ってきてエイャと包丁でぶった切って食べます。これでは福はこないかも。
まぁ、食いしん坊の私としては、どんな状態でもお腹いっぱい食べられれば充分に幸せです。(2023/02/03)
どんど焼き
門松や注連縄を燃やした火で焼いた餅を食べると病気にならない!と云われ毎年神社で行われる<どんど焼き>に大勢の人が集まりました。
初詣と異なり持参した餅が焼けるまで、久しく会った人と新年の挨拶を交わしながら話が弾んだものです。
昔から〈どんど焼き〉は毎年1月14日と決まってはいましたが、
14日より前に人が亡くなると、その翌日にどんど焼きを行うと云う、不思議な習慣も併せて残っていました。
楽しく正月を過ごしていても1月3日に訃報が入ると、1月4日にどんど焼きをする事になります。
氏子は亡くなった連絡が入ると、その日の内に神社の門松を解体し、注連縄を外し、境内に大きな穴を掘って、翌日のどんど焼きの準備をしたものです。
時が経ち年々人口が増えて、急な行事の変更を知らせる事が難儀となり、平成の中頃から毎年14日に統一されました。
さらに令和になってからは、平日よりも休日に行った方が良いとの意見が増えて、1月14日に近い〈休日にどんど焼きを行う〉事に決まったのです。
最近新たに煙の臭いが問題となり、境内に大きな穴を掘る事は無くなりました。
長年受け継がれて来た御神酒も振る舞われて賑やかであった伝統行事も、時代と共に変化して、今年は規模を縮小し1月15日に静かに行われました。(保護司N
2023/01/18)
思えば遠くに来たもんだ
ちょうど一年前の今日、守山保護区保護司会のホームページを公開した。
保護司会の広報委員は全員素人集団、公開まで紆余曲折、難関にぶつかってはそのたびに回り道や、壁を乗り越える作業を繰り返しやっとたどり着いた。そんなホームページだが運用開始から「はや一年」か「まだ一年」なのか。
誰が読んでいてくれるのか、いないのか分からないが「つぶやき」も一年経過した。
ちなみに現在までのところ、つぶやく保護司は2名だけ。
保護司なんてその辺にいるおじさん、おばさんの集団なので、その日常を「つぶやく」ページにそれほど多くの読者がいるとは思えない…。誰かに評価されたいわけでもないが、少し気になる。
(2023/01/12)
中庸が一番
昨年「都市で生きる動物」の話をつぶやいたが、今度は大阪の川で「くじら」だそうだ。そのうちに「象」や「ライオン」もどこかの都市で出るかも知れない。
何故に都市部の川に「くじら」が迷い込んだのかは知る由もないが、心配性の私としては大きな災害が来るのではと怯えてしまう。その一方、楽天家であるもう一人の私は「いやー新年からめでたい出来事だ」などと暢気な発言もするのだ。
心配性と楽天家は相反するかも知れないが、適度なバランスではないか。陰陽のどちらかではなく、何事も中庸が一番。
「中庸の徳たるや、それ至るかな」は孔子の言葉です。(2023/01)
新しい年
新年を迎えると、また新たな気持ちで…と思っていたのは若い頃です。この頃は新たな気持ちより先に、また一つ歳をとったと残りの人生の短かさにため息をつく。
その昔、ある年のお正月に一休宗純(俗に言う一休さん)は「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という句を詠みました。意味するところは「新しい年を迎えるということは、死に一歩近づくということ。正月の何がめでたいものか」(浮かれてばかりいてはいけないよ)というものです。
どうあがいても私には残された時間はたいして無いのですから、さて今年は何に挑戦しようかと、この年で未経験の事に闘志を燃やしましょう。
若い頃あきらめていた事に挑戦し直すのも面白そうです。
中学当時苦手だった「歴史」も小説として読み返すと面白いものです。
但し、自分が習った歴史は今の子どもたちが学んでいるものと違っていることもあります。
鎌倉幕府は何年でしたっけ…
今年はきっと良い年になりますよ!(2023/元旦)
鳥居
今年も残りわずか、正月が間近に迫ってきた。初詣に出掛ける人も多いだろう。神社に行くと最初にくぐるのは鳥居である。帽子などのかぶり物を脱いで、お辞儀をしてからくぐるのが作法だそうだ。
「とりい」とはなんとも不思議な建造物(構造物)だと思い、少し調べた。
元をたどると古く、日本神話にまでたどり着く。
自分が見ていたわけではないのだが、天照大神が岩戸に隠れてしまい、八百万の神々が鶏を鳴せたそうな。この時、鶏が止まった木を鳥居の起源であるとする説がある。それをもって、鳥居の内側は神域なんですって。
だとすると、我が家の前の電線に鳥(カラス)がとまっている。その内側である我が家もまた神域なのか。
確かに我が家には「かみさん」が約一名いる、「神さん」かも知れない…。いや時に大魔神の様になるので、神域というよりは結界かも。
いずれにせよ、我が家の「かみさん」には頭を垂れているほうが安全だ。(2022/12)
門松作り
毎年慌ただしい年末が近づくと、東谷山の麓にある竹藪に出かける。
太さ3寸程で真っ直ぐに伸びた真竹を慎重に選んで切り倒す。
1本の竹から7尺の長さに揃えて3本を切り取る。根元の太い1本目の竹は父の役、やや細い2本目の竹は母の役、細い3本目の竹は子の役である。
3本ずつ縄で束ねてこれを6束(3社用)作り、竹の表面に傷をつけない様にして我が家に持ち帰る。
これからが最も難しい竹の先端の斜め切り作業に入る。
切断角度は25度で、切断面の下から3分の1に節が来るように切り落とす。
白くて滑らかな竹の切断面が、口を開けて笑っている様に見えなくては〈いい仕事〉とは言えない!
次は、斜め切りした3本の竹(父の役、母の役、子の役)を笑って立っている家族の顔の様に整える。最後に子供の成長を祝う七五三に合わせて、しゅろ縄を用いて上から7回巻、5回巻、3回巻き付け、正面で男結びをして門松の中心に置く竹の完成である。
明日は名古屋で最も高い東谷山の尾張部神社に運び、現地で高さ2メートルの門松飾りを完成させて、平和な新しい年を迎えます。(保護司N 2022/12)
時の流れ
ついこの間まで、美しい黄色の花を沢山付けていたヘチマも、茶色の大きな実を付けて塀に絡みついて枯れた。早速実を収穫して数日間水に沈め、種を取り除いて〈ヘチマたわし〉を作った。
天然の繊維で出来た〈ヘチマたわし〉は、我が家の台所で大いに役立っている。
また春の庭いっぱいに咲いていた黄色の菜の花も、冬が近づきいつの間にか茶色の菜種に変身して一生を終わろうとしている。
以前はまるで気にならなかった季節の変化が、近頃は驚く程早く感じる様になった。
若い頃は、時間は無限に有ると気にも留めなかったが、ゆっくりと庭の草花を見る事が多くなり、生物には限りがある事を身近に感じる様になってきた。
考えてみれば、私が日本の平均寿命に達するまで残りあと6年!
平凡な生活の中で孫に刺激されて、こっそりとピアノ教室へ通う決心をした。
密かにバッハの〈G線上のアリア〉を弾きたいと願っているが、夢で終わるかも知れない。
(保護司N 2022/12)
都市で生きる
つい先日、守山区の住宅街付近の河川敷でイノシシが出たと話題になった。今日現在でまだ捕獲されていない。面白いと思ったのが、住民保護のため警察官が、拳銃を構えて「撃つぞ!」と叫んだとか。イノシシは「撃たれる」のが嫌で姿を消したのだろうか?
少し前には東京、横浜、神戸の河川に「エイ」が出たとニュースになったし、新宿や渋谷で「タヌキ」が出たとのニュースもあったなぁ。
連日流れていたウクライナの状況とは真逆のほほえましいニュースである。
守山区は緑豊かな地域ではあるが、住宅地でタヌキはあまり見かけない。それでも野生とおぼしき動物は、ハクビシン、アライグマ、池近くではヌートリア、さらにゴミの日に限ってはカラスはしっかりと住宅地で生活している。
神戸にはイノシシが当たり前のように闊歩し、奈良には野良鹿が生息している。
我が家の庭には猫(たぶん野良か地域ネコ)がフンをして行く場所があり、自宅で飼っているイヌのフン同様に片付けている。
いくつかの外来種の繁殖や日本固有種の宅地への出没は私たち人間のワガママが招いた結果だろうし、ネコは放し飼いにしたものの責任だと思うが、それでもそれぞれの個体に罪は無い。
そう言えば数ヶ月ほど前に名古屋市天白あたりではキツネが出たとニュースになっていた。
動物ってたくましい。
紅葉の季節
都心部ではイチョウ並木が多い。街路樹にイチョウが多いのは、イチョウが「火に強い木」だからと言われている。 イチョウは他の木に比べて葉が厚く水分が多く、
そのために燃えにくく火に強いという性質がある。 また、葉だけでなく、幹も他の木よりも水分が多く、木全体が燃えにくいので、都心部の街路樹にはもってこいということだ。
秋は見事に黄色に染まり、終盤にはそれが落葉し、黄色の絨毯になるのも風情があって良い。
が、しかし、イチョウの葉っぱには水分だけではなく油分も多く含まれている。すると、燃えにくいというのは本当か?と疑問も。
まぁ防火の話は置いておいて、バイク乗りからすると、この落ち葉は踏んではいけない鬼門のようなものとなる。イチョウだけでなく、落ち葉は危険地帯、転倒必至なので。濡れ落ち葉など、まさに地雷級だといっても過言では無い。
バイクは道路の左端を走るのがルールなのだが、この季節に限っては道路の端っこは走ってはならない。
まぁスリップするのはバイクにに限らず、歩いての紅葉狩りでも落ち葉は踏まないことをお勧めします。(2022/11)
ふるさとの秋祭り
3年ぶりに地元の秋祭りがありました。神社に集まった子供獅子が
賑やかに練り歩くのを見るのはとても楽しみであり、秋の収穫が終わった喜びを思い出します。
以前は町内を練り歩いた後は公民館に集まって、子供たちはお菓子を貰い、大人達は酒を飲みながら顔なじみの隣人と久しく会話をしたものでした。
ところが今年は参加者が多すぎて会場に溢れ、子供たちにお菓子を渡して解散となってしまった。
家の周りに田園風景が見られたのは昔の事で、ここ数年の間にすっかり風景も変わり、赤とんぼを見る事も無くなり新しい住宅街に変わってしまった。
小学校も新設されたばかりで、もう教室が不足すると云う驚きの事態も起きています。
少子化が問題となっている昨今、子供が多いのはとても喜ばしい事と思うのですが、のんびりと秋祭りを楽しむ場所が無くなってしまった事は、祭り好きの私にとって寂しさを隠せません。
忙しい秋の稲刈りが終わって、五穀豊穣に感謝する昔ながらの田舎の秋祭りは出来なくなったが、ここは若い人達のやり方にお任せする事にしよう!(保護司N
2022/10)
電話営業の撃退
昼間に家にいると様々な電話が掛かってくる。ほとんどが営業の電話である。
オレオレ詐欺(今は特殊詐欺と言う)の電話も受けたことがある。幸いにも引っかからなかった。
営業と一言目で判るのは「お忙しいところ…」という言葉。こちとら大して忙しくもない身分だが、それが判ってか判らずなのか、皆さんそうおっしゃる。その後、とってもお得なお知らせや、電気代が半額になる装置だったり、太陽光のなんちゃらだったり、極めつきはオレオレ詐欺を防ぐためのシステムがありますだったりするのだが、そんなにお得だったり儲かるなら、我が家に知らせないで、自分がやればいいのに、とか半額になる装置があるなら電力会社が赤字になるじゃないかと心配したりする私は、結構「天邪鬼」なんだろう。
結局、「営業の電話には出ないことにしていますので…」と言って返事も聞かずに電話を切るのだが、その直後に「いやぁ、電話には出ちゃってるけどね」と独り言をつぶやくのである。
皆さんも怪しげな営業電話、特殊詐欺にご用心を。
小さな秋
お彼岸が近づいて来ると、毎年我が家の庭の隅に突然真っ白なヒガンバナが咲いて驚きます。それでもこの花を見つけると、暑い日が続く中にも小さな秋を感じます。
小さな庭に四季折々の花が1年の間に百種類程咲きますが、どの花も芽が出て葉が茂りやがて花芽が膨らんで花が咲きます。
花が咲くまでの間毎日のんびりと成長過程が楽しめますが、ヒガンバナだけは葉っぱが無いのに細い茎が長く伸びて、気が付くと白く大きな花が咲いてびっくりします。
早春に咲く水仙の球根とそっくりなのに、水仙は葉が出てから花が咲きますが、ヒガンバナは先に花が咲き後から葉っぱが出て来る大変珍しい花です。
よく見かける真っ赤なヒガンバナには毒が有るので、土葬をしていた頃は動物よけとしてお墓を守る為に植えたものです。同様にお墓に樒(シキビ)を供えるのも、樒の毒が動物よけになる為昔から使われてきたようです。
現代の弔いは火葬ですから、赤いヒガンバナを用意しておく必要が有りませんが、白いヒガンバナは珍しいので当分このまま庭に植えておく事にします。(保護司N
2022/10)
面接の家
保護司の皆さんはどんな場所で対象者と面接をされているのでしょうか?
約束の時間が来ても姿を見せなかったり、突然の来訪だったりする事が有り、家族が居る我が家で面接する事が少しばかり気になっていました。いつでも気軽に使えるサポセンの様な場所も近くになかったので、裏の畑に「面接の家」を建てる事にした。
素人の私にも出来そうな8畳程の広さで、面接以外に保護観察満了時には、バーベキューでお祝いも出来る小さな家を計画。休日の度にホームセンターに出かけて、セメントやブロック等DIY専門書を参考にして資材を調達した。初めから失敗は覚悟で、慣れない基礎の土木工事に挑戦。柱や垂木の加工などの大工工事も、何とか本職の手を借りる事なく無事完了。最後に水道工事と電気工事を施して、畑の中にぽつんと一軒家「面接の家」が無事完成した。
畑に建てた長閑(のどか)なこの家で、誰にも気兼ねする事なく、何時でも対象者と自由に面接が出来る様になった。多い時は3名の担当をしていましたが、今では対象者が0となり「面接の家」が要らなくなった。
「面接の家」の表に「ふれあい広場」と手作りの看板を取り付けた。今では自治会や老人会の集まりや、飲み会などに役立っている。
いつか又対象者の面接の為に役立つ日を楽しみに、いや、非行や犯罪が世の中から無くなり、保護観察の制度が無くなる日を願うべきだな。(保護司N 2022/9)
喉もと過ぎても
9月1日は防災の日でした。毎年この時期になるとTVでもネットでもやたらと防災関係の(特に防災用品)の情報が溢れます。ところが、その時期を過ぎると何事も無かったかのように、旅行等の情報番組が溢れてきます。
結局のところ真剣に向かい合うのはたった数日と言うことになります。
冬が近づくと鍋料理が恋しくなってきます。湯豆腐もその一つですが、この豆腐が熱いのなんのって、口に入れると火傷をしそう、思わず飲み込んだら、のどを通過して、みぞおち辺りまで、苦しいのですが、これが胃に入ると、あら不思議、キューっとした苦しさが無くなるではありませんか。但し、胃がなんともない訳では無く、胃もちゃんと火傷しているんですけどね。
その時々の旬を知り、季節感や危機感を感じるのはいいですが、その時期を過ぎてもしっかりと記憶し備えることが必要でしょう。(2022/9)
瓢箪の花
親の意見と茄子(ナスビ)の花は、千に一つも無駄が無い!と子供の頃に聞いた覚えが有る。
私も親父と呼ばれる年齢になって、無駄な意見が無かったかどうか振り返ってみるとそんなに無かった気がする。
一方、茄子の花は本当に無駄が無いのかが気になってくる。
茄子には紫色で小さな可憐な花が次から次と咲き、お隣さんにおすそ分けする程の茄子が今年も収穫出来た。
改めて調べてみると茄子の花には、雄花と雌花の区別が無いことが分かった。
一つの花の中に雄しべと雌しべが同居している為、確かに無駄が無い!
花が咲けば必ず収穫が出来る。
ところが、同じ庭に植えた瓢箪の白い花は、伸びた枝のあちこちで咲くけれども、雄花と雌花は別々である。
雄花は沢山咲くけれども、小さな丸い実を付けた雌花は少ない。
毎朝少ない雌花を探しては、雄花を摘み取って人工受粉させてきた。
ほったらかしでも茄子は収穫出来たが、大切に育ててきたつもりの瓢箪は、無駄が多かったせいか収穫できそうな物はたった一つだけである。
私の74年の人生も、振り返るとまるで瓢箪の様である。
(保護司N 2022/8)
懐かしい鳥の声で早起き
新緑の美しい5月は毎朝鳥の声で目が覚めました。
これだけ聞くと静かな森の中で、大自然に包まれて暮らしている様に思われるかもしれません。声の主は、守山区最北端にある我が家に住み着いたムクドリです。
雨戸の戸袋の隙間に枯草を集めて作った巣が有り、雛を育てて居ます。
くちばしが黄色で雀より一回り大きな親鳥が盛んに餌を運んできます。
毎朝、明るくなると餌をねだるムクドリたちの鳴き声がうるさくて目が覚めるのです。
そんな訳で大好きな朝寝坊が出来ない毎日が続いていました。
それでも一か月程が過ぎて忙しい子育ても終わり、また以前の様に静かな朝が戻ってきました。
6月に入り、朝露に濡れて花びらの色が白から青に日々変化していく庭のアジサイを眺めて、清々しい朝を迎えております。同時に、毎日が休日である74才の私、ムクドリの居なくなった寂しさも感じます。
(保護司N 2022/6)
草取り
庭の雑草を抜きながら、雑草の気持ちになった。せっかく根をおろして、昨年の日照りにも負けず、長雨にさらされても、冬の寒さにも耐えて生き抜いてきたのに、ある日突然引っこ抜かれる。これって、けっこう残酷ではないだろうかと。
これを言い分けにして、草取りを止めることにした。
暖かい4月が続いたせいで、さして広くも無い庭は、雑草に見事に覆われてしまった。
これはまずい。なんとかせねばならない。そうだ我が家には、電動草刈り機がある。買っただけで1、2回しか使わずにしまってあったのを取り出して、いざ草刈りに。
おー、切れる切れる。あっという間に完了。刈られた草をゴミ袋に押し込みながら、草の気持ちになった。
「おまえなぁ、せっかく頑張って成長したのに、残酷にも予告無しに切りやがってこの悪魔!」と言っている。
「いやー、私は従順な僕にすぎませんよ、私に指示をだす者がいるんですから」と言い訳しながらゴミ袋の口を縛った。
人の生活に邪魔なもの、不要なものを容赦なく排除する。これって人間のエゴだろうな。(2022/4)
新年度
4月は新年度の始まりです。1月1日に新しい年が始まって心新たになったばかりですが、今日から新年度。再び気分一新してスタートです。今年は満開の桜が新たな年度の始まりを祝ってくれています。
数年前の「社会を明るくする運動」キャッチコピーが「Re!」でした。Re!はリセット・リスタート・リボーン等の接頭語で、再びの意味を持ちます。心機一転・再出発・生まれ変わりです。
ただ残念な事に再非行や再犯罪、はては再入所(刑事施設へ)してしまうケースもあります。悪い意味での「再び」をなくすためには、住居確保や就労支援、自立生活のスタートを支える経済的支援等が大切です。
保護司は対象者と共に歩み、彼らの社会復帰をサポートしつつ見守ります。
さぁ、保護司会も新年度のスタートです!(2022/4)
暑さ寒さも彼岸まで
冬の寒さ(余寒)は春分頃まで、夏の暑さ(残暑)は秋分頃までで、過ごしやすくなるという意味です。多少のズレはあるにしても、実際そう感じるので単なる慣用句というより、体感句と言えるのかも知れません。
さて、令和4年の春分は3月21日。桜の便りもちらほら聞こえてきます。
この慣用句の意味を転じ「辛いことも時期が来れば過ぎ去ってゆく」という意味に用いられることがあります。
新型コロナも東ヨーロッパでの戦争もそろそろ過ぎ去ってはくれないでしょうか。(2022/3)
福寿草2
福寿草の続きで恐縮だが、花言葉は「幸せを招く」とか「永久の幸福」だそうだ。
東ヨーロッパでは戦争が起きてしまった。長らく平和な時代が続いている日本では毎日テレビで流れる映像はなんとも信じがたいものばかりである。
小さな福寿草を見ながら、どうか幸せが訪れますようにと祈るばかりである。
ところで、タンジーという花をご存じだろうか?
タンジーはキク科のハーブで和名ではヨモギギク(蓬菊)、ヨーロッパからシベリアにかけてが原産地といわれており「平和」の意味を持つ。
「平和」の花言葉を持つ原産地域の国同士が争うのはいかがなものか。一日も早く平和の花が開いて欲しい。(2022/3)
福寿草に願う
3月になりましたがまだ寒くて何の彩りもなかった朝の庭に、小さくて黄色の可愛らしい福寿草の花が咲きました。朝は黄色の花が満開でとても美しいのですが、夕方になると花を閉じて周りの土と同じ色になり、明日の朝まで眠りに入る不思議な花です。何も手入れをしていないのですが毎年必ずこの時期になると、私に元気な春を一番先に知らせてくれる花なのです。
3年余り担当していた一人の対象者がこの春に無事満期となり私から巣立って行きました。コロナで思うような面接もできませんでしたが、新しい仕事を見つけようと頑張っていた身寄りのない彼に、一日も早く仕事が見つかりそして目標としていた〈自立した生活〉が早く出来る事を願うばかりです。(保護司N
2022/3)
保護司とは
詳しい説明は、当ホームページの「保護司とは」のページをご覧頂くか、ネットで検索して頂くとして、幾つかのTVドラマをご紹介します。ひとつは、「生きて、ふたたび 保護司・深谷善輔」、もうひとつは「前科者」というものです。
後者の「前科者-新米保護司・阿川佳代-」は「ビッグコミックオリジナル」という雑誌掲載のマンガを実写化したドラマです。さらに前科者は映画でも公開されました。
どれも保護司を取り巻く様々な人間模様を描いており、なかなか見応えがあります。(映画はまだ見ていないのですが…DVD化されてから買うつもりです)
保護司とは何なのかあるいは更生保護とは何かを知る上で参考になると思います。機会があれば是非ご覧ください。(2022/2)
手洗いうがい、それにマスク
新型コロナが流行って、マスクを手放せない生活になってしまいました。手洗いやアルコール消毒も、外出から帰ってからのうがいも習慣になれば、意外に出来るものですね。
水道から流れる水が冷たく感じるこの時期、トイレを済ませてからの手洗いが億劫になります。だって冷たいんだもん。仕方なしに指先だけチョビッと濡らして、ピッピと振り終了。
あの手洗いの水の温度は瞬間的にお湯にならないものかと家内に話したら。
「主婦はみんな、食後の洗い物やってんだから、それくらいなんともないでしょう」と言った。そりゃそうだと思いかけたが、「洗い物はお湯でやってるじゃないか」と言いかけて止めた。
たぶん何を言っても勝てそうにないので、見つからないようにチョビッと濡らして手を振って済ますことにした。早く水温む(みずぬるむ)季節にならないかな。(2022/2)
新型コロナ オミクロン株
新型コロナの型が次々に変わっている。オミクロンという名前も突然出てきたが、何度か聞いていると馴染みのある名前に思えてきた。
インフルはA型とB型しかない、と思っていたが実はCとDもあるようだ。
新型コロナはアルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、オミクロンなので今のところ5タイプ。
どこまで変異が続くのか。
感染者数が激増したために、愛知県にも「愛知県まん延防止等重点措置」が発令された。
その期間中、守山保護区保護司会のサポートセンターも閉所になった。
そろそろ収束して欲しい。(2022/1)
トンガ…遠い国との連絡
地震警報も鳴っていないのに津波警報が来た。スマホやテレビ画面から流れる津波警報に戸惑った方も多かったのではないか。遠い南太平洋での火山噴火がその原因のようだが、ごく近くのトンガでは、インターネットや一般の通信も遮断されていて、情報の孤島になっているようです。
わずかながらの情報が得られているのは、アマチュア無線(たぶん軍や政府の無線も含む)のおかげだそうです。昨今は携帯電話の普及の影響で減少が続いていたアマチュア無線が、今更ながら見直されるきっかけになるかも知れません。
無線通信なら、バッテリーで電源の確保さえできれば、送受信が可能であり、電波が届く範囲なら通信は十分可能でしょう。
守山保護区の保護司もアマチュア無線の免許を持っている方が何人かおります。役に立つ日が来るのか、役に立たない方が良いのか…。
趣味の一つとして資格取得しておき、平時には遊びで、非常時には通信手段として準備しておくのもいいと思いますよ。(2022/1)
光陰矢のごとし
暑いと思っていたのに、今は寒い!年齢を重ねると、あっという間に季節が巡る。光や陰は矢のように早い…というか光や陰は矢より遥かに早いのだが。そのくらいのスピードで歳をとっていく。やばいぞ。新年になってようやくホームページを公開してみたが、頑張って更新しないといけないなぁ。「つぶやき」は不定期更新としてあるが、できれば2週に一度くらいは書き込もう…と新年の誓いをたててみた。三日坊主にならないようにと祈る毎日。(2022/1)
保護司はえらいこともある
決して保護司は偉いと言っているのではありませんよ。名古屋弁でエライは「疲れた」「きつい」「だるい」「大変だ」という意味です。
かといって、キツいからイヤだと言うのではありません。大変な事も時にはあると言うことです。むしろほとんどのの保護司は充実して生きがいを感じているのだと思います。
ちなみに、「どえらいエライ」はとっても大変だと言う意味です。
どこかの市長風に発音すると「ドえりゃ~えらい」となりますが、こんな言い方をする名古屋人はおりません。(2021/秋)
暑い夏
今年の夏は暑かった。とは言うものの、この年齢になって、自分が小学生の頃にはどうだったか…記憶をたどれば、デコボコ道に敷設されたばかりのアスファルトは夏になると溶け出して運動靴(今で言うスニーカー)の靴底にネッチョリとついたものだった。それほど昔は暑かったのだろう…と思ったが、実はアスファルトの品質が悪かっただけかも知れない。
いずれにせよ子どもの頃を懐古するようになった私は世間で言う年寄りに違いない。
「高齢になると汗も出ない」と聞いていたが、この原稿を汗だらけになりながら書いている私は、まだまだ高齢ではないぞ!
保護司は全国に約5万人います。その約80%が60歳以上で平均年齢は65.2歳だそうですよ。
暑い夏には勝てません。早く秋が来ますように。(2021/夏)